2011年07月15日

【佐用の森便り】No.8

6月26日に兵庫県佐用町での山林整備事業を再開しました。
再開初日、佐用町奥海(おねみ)集落の山守さんのお話を聞きました。
現地で活動している境智子(兵庫県立大学学生)のレポートです。

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6月26日 奥海集落の山守・Yさんからのお話
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1993年に町全体が水道に加入することが求められましたが、各谷に豊かな川を持つ奥海の住人は不要であると強く反対しました。このときの奥海の川は旧佐用町の水源の一部を担っているほどだったのです。

その二年後の1995年に奥海に戻り自治会長になられたYさんは、今後を考えて、まず各戸に対して単独水洗トイレ(浄化槽)の設置を求めました。住民は、例え浄化しても川に屎尿を流すことに反対していましたが、やがてYさんの説得に応じてくれました。また、この頃、木が間伐されずに成長したために川の水量が減少していたため、集落全体が町水道に加入したくなったそうです。ですが、町水道側は今更奥海に水道整備は出来ないと断られてしまいました。関係機関に赴き何度も交渉した結果、佐用の水源を汚さないことに貢献している単独水洗トイレ(浄化槽)が評価されて、他の集落よりも安価に水道を設置することができました。

奥海、若洲(現在は無人集落)、上石井、下石井の四地域をまとめて石井地域と言います。昔、石井木炭といえば近畿において有名で、木炭400俵を焼けば一年間家族が食べていけるほどでした。しかし、ガス・灯油の普及により、炭の需要は落ちていきました。

そして、国の推奨するスギ・ヒノキの植林が始まったのですが、奥海では台風により倒れたり、外材に押されて採算がとれなくなりました。昔は、4トントラック一杯で40〜50万円程だったそうです。他に推奨される事業に手を出した方(10年後に借金が残るだけという方が多かったそうです)や、働きに出る方(Yさんはこちらでした)が出てきました。スギ・ヒノキの価値を信じる方に山は売られ、木の手入れがされず風倒木も多くなりました。こうして、山を省みる人は少なくなりました。

奥海を出てしまう方が多くなって、石井木炭で繁栄していた時は300人以上いた人口が、現在では100人を切ってしまいました。奥海の秋季大祭といえば露店組合が来るぐらいに賑わっていましたが、現在は役員たち数人が獅子舞を奉納するだけになってしまいました。

Yさんは奥海の山約3000ヘクタールの内、1000ヘクタールほどを管理されています。1990年代の頃は山番に地主から給金が出ていましたが、山の価値が下がったため出し惜しむ方や、Yさんに山を譲るという方もいらっしゃるようです。

こういう状況は各地で見られるため、国・県で資金を出し合って個人負担無しで間伐を行うようになりました。それは、良木を育てれば100年以上後に利益が出るのでは、という途方もない希望をかけているからです。現在でも、樹齢が高く太い木は高値で取引されているからです。

間伐作業の写真を見せてもらいましたが、こんなにも密生していることに驚きました。作業後の日光の入り具合が大分違ってくるので、木の生育が楽しみです。昔は、人口がたくさんいたと何度か聞いていましたが、その時代の具体的な生活は始めて聞きました。エネルギー事情の変化と国に翻弄されてしまった集落はここだけではないと思います。国の推奨事業に手を出すのは、少し怖いと思いました。安さ・便利を追求するばかりでなく、足元をよく見て何が大切なのか考えて行動していきたいです。
(境智子)
posted by 被災地NGO恊働センター at 00:00| 佐用の森便り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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